過去のハイパーインフレーション
ハイパーインフレーションとは…?
ハイパーインフレーションは、通常のインフレーションよりもはるかに急速で、過激な物価上昇の状態を指して言います。通常のインフレーション率は年間数パーセント程度で留まることが多いのですが、ハイパーインフレーションでは月単位や週単位で何十、何百パーセント以上という価格上昇が起こります。
ハイパーインフレーションの影響は深刻で、物価の急激な上昇によって、人々の生活水準が急速に悪化、食料や日常必需品の価格が急上昇し、財産や貯蓄の価値が急激に減少します。また、企業や個人の経済活動が困難になり、失業率が上昇してしまいます。
政治の混乱、戦争の敗戦、経済政策の失敗などの要因によって引き起こされるのですが、このような状況下では通貨の価値が急速に低下し、国民の貯蓄や収入の価値が失われるため、人々は資産や外貨を保有しようとします。その結果、経済は更に混乱し、市場や取引が停滞するといった状況に陥ります。
一度ハイパーインフレーションを起こすと、回復はとても困難であり、経済の復興や信頼の回復には時間がかかります。政府は通貨の安定化や経政策の改革を実施する必要がありますが、これには国内外からの支援や厳格な政策の実行が必要となります。
『ヴァイマル共和政(ドイツ)』のハイパーインフレーション
ヴァイマル共和政〔ワイマール共和国(ドイツ)〕※の『ハイパーインフレーション』は、1920年代後半から1930年代初頭にかけて発生した極端なインフレーション〔物価の急激な上昇〕になります。そして、このインフレーションは、過去最悪のものの一つとされています。
1923年には、1ドルが4.2兆ドイツマルクに達し、通貨の価値が崩壊しました。物価は日々上昇し、紙幣の価値はわずか数時間単位で大幅に減少しました。
第一次世界大戦後、敗戦国であったドイツは戦争賠償金などにより経済的負担に苦しんでいました。その額を現在の価値に換算すると数百兆円といわれます。
そして政府はそれまでの巨額の戦争費用と賠償金を賄うために紙幣を増刷し、大量の紙幣が市場に供給されます。この紙幣の過剰供給は、通貨の価値を下落させ、物価を急速に上昇させることにつながりました。
ハイパーインフレーションの時期には、物価は日々上昇し、お金の価値はわずか数日や数時間で急落しました。生活費や生活必需品の価格が急上昇し、貯金や収入が一瞬にして無価値化しました。
人々は通貨を持つこと自体が価値がないと感じ、通貨ではなく、物々交換や貴金属などの価値の安定した物品を取引手段として用いることが一般的となりました。
〔通常の買い物において実用的ではない金額である50兆マルク紙幣(1ドル=4.2兆マルクに達した1923年に発行)生活必需品や貴金属などの物品を取引する際に使用されることもありました〕
このハイパーインフレーションによりドイツ経済は混乱し、政府の信頼性が揺らぐことになります。そしてこの混乱をきっかけにナチス党の台頭やヒトラーの権力掌握につながり、最終的には第二次世界大戦の原因の一つともなりました。
【ヴァイマル共和政(ワイマール共和国)】とは…?
ヴァイマル共和政は、1919年から1933年まで続いたドイツの政治体制です。第一次世界大戦後にヴァイマル憲法が制定されることにより君主制〔王や皇帝が統治者〕が廃止され、ドイツ史上初めて民主主義が導入されました。しかし、政治的な混乱や経済的な不安定が続き、ナチスの台頭とヒトラーの独裁へとつながり、そのナチスによって終焉を迎えました。
『ハンガリー』のハイパーインフレーション
ハンガリーのハイパーインフレーションは、20世紀初頭に複数回発生しましたが、最も有名なのは1945年から1946年にかけてのものです。第二次世界大戦の終結後、ハンガリーは戦争の影響を受け、経済は混乱状態にありました。この混乱は、政治的な不安定により資源の不足、経済政策の失敗などによってさらに悪化しました。
そして、1946年にハイパーインフレーションが発生し、ペンゲー〔1927年1月~1946年7月まで使用されたハンガリーの通貨〕の価値が急激に低下しました。最終的に、発行には至らなかったものの、1,000,000,000,000,000,000,000ペンゲー(10垓ペンゲー)紙幣〔史上最高額の紙幣〕が印刷されるほど経済は崩壊していました。
ちなみに↓下の紙幣は1946年に実際に発行された史上最高額の1,000,000,000,000,000,000,000(1垓ペンゲー)紙幣になります。これだけ0が並んでいるのに価値は約0.2ドル(USD)だったそうです。
第二次世界大戦中にハンガリーはナチス・ドイツと同盟国として参戦し、戦争の末期にはドイツ軍による占領下にありました。その後、ソ連軍によって解放されましたが、その過程でハンガリーの経済は疲弊し、国庫は空っぽになっていました。
この状況下で、ハンガリー政府は戦費調達やインフレーション対策として大量の紙幣を発行しました。しかし、それによって通貨の価値が急激に下落し物価が爆発的に上昇しました。1日の間に価格が何倍にも跳ね上がることも珍しくありませんでした。
このハイパーインフレーションのピークには、ハンガリー通貨のペンゲーの価値は急速に失われ、国民の貯蓄は一瞬で無価値となり、経済活動は混乱しました。
この混乱を収束させるため、ハンガリー政府は最終的に1946年に新通貨である『フォリント』に置き換える、デノミ(denomination)〔通貨の単位や額面を変更 〕を決定しました。
※1フォリント=400,000,000,000,000,000,000,000,000,000ペンゲー(40穣ペンゲー)
この措置により、インフレーションは抑制され、通貨の価値が徐々に安定します。しかし、ハイパーインフレーションの影響は根深く、ハンガリーの経済に長期間にわたる影響を与えました。
『ジンバブエ』のハイパーインフレーション
ジンバブエでは2008年にハイパーインフレーションがピーク〔物価上昇が1日で2倍〕に達しました。その翌年には100兆ジンバブエドル紙幣が発行され日常的な買い物にも使用されました。
それは、やはり政治的な混乱や経済政策の失敗によって引き起こされたインフレでした。
この時期、ジンバブエでは政府が農地改革を行っており、白人の農場主から土地を取り上げ、それを黒人の農民に分配する政策を推進しました。しかし、この政策は経済に大きな混乱を招き、農業生産性が一気に低下しました。そんな最中、政府は財政赤字を埋めるために大量の紙幣を発行したため、インフレーションを加速させてしまいます。
人々は給料を受け取るとすぐに物を買っておかなければならない状況となり、貨幣の価値が失われていた為、現金の持ち運びも大量の札束になってしまうため非常に困難となりました。
〔2009年に発行された100兆ジンバブエドル。最終的にはインフレが更に進みこの100兆ジンバブエドルも日本円にして1円の価値もなくなりました。〕
このハイパーインフレーションは、ジンバブエの経済や社会に深刻な影響を与えました。多くの人々が貧困に陥り、生活必需品の不足にも直面しました。
そして、この政府の経済政策の誤りによって引き起こされたジンバブエのハイパーインフレーションは、その後の経済の崩壊や社会の不安定化につながりました。