台湾の歴史
台湾の歴史を振り返ったうえで、現代の『台湾』に対する国際社会の認識を見ていきたいと思います。
台湾の歴史
先史時代
台湾には、旧石器時代頃から先住民族〔台湾原住民〕が暮らしていたと言われ、新石器時代には農業や漁業を営む人々が存在していました。
オーストロネシア語族(南島語族)に属する複数の民族が台湾に定住し、独自の文化や言語を持っていました。
【オーストロネシア語族】
太平洋地域の島々から東南アジア、インド洋の一部まで広がる語族。数千年にわたって海洋航海と移住を行ったため、ハワイ、マダガスカル、ニュージーランド、台湾など広範囲に広がっており、この語族だけで1000以上の言語があると言われています。
【台湾原住民】
台湾の先住民族(台湾原住民)は豊かな文化で知られています。現在、政府が認定している民族は16民族あり、それ以外にもまだ10以上の小数民族が存在すると言われます。
それぞれ独自の言語、文化、伝統を持っているのですが、主な台湾原住民には、アミ族、パイワン族、ツォウ族、タイヤル族、ブヌン族、ルカイ族、タオ族、サイシャット族などがあります。
これらの先住民族は、かつて台湾全土に広く分布していましたが、中国の移民や政策などの影響で、その領域は縮小しました。
近年では、台湾社会が台湾原住民の文化と権利を尊重し、保護する取り組みが増えています。言語や文化の復興、先住民族の政治的地位の向上など、さまざまな分野での支援が行われています。
〔ツォウ族〕
〔タイヤル族〕
オランダ・スペイン統治時代
17世紀に入りオランダとスペインにより統治〔国土、人民を支配し治めること〕されます。
- オランダ統治(1624年 – 1662年)
オランダは、台湾南部に拠点を築き、ゼーランディア城(安平古堡あんぴんこほう)〔現在の台南市(たいなんし)〕を建設しました。台湾をオランダ東インド会社(VOC)の交易拠点として利用し、中国(明朝)との貿易を行い、台湾の自然資源を活用しました。
また、オランダ統治時代には台湾にキリスト教が伝えられ、カトリックの信仰が広まります。
【東インド会社(East India Company)】
東インド会社は、16世紀から19世紀にかけてヨーロッパ諸国が設立した貿易会社の総称になります。これらの会社は主にアジアとの貿易を目的としており、次第に軍事力を用いて現地の支配や植民地経営にも関与しました。
最も著名なものは以下の3つです。
≪イギリス東インド会社(1600年~1874年)≫
インド、アジアでの支配を拡大し、イギリス帝国の拡大に大きく貢献。
≪オランダ東インド会社(VOC)(1602年~1799年)≫
インドネシアを中心に広範な貿易ネットワークを構築し世界初の株式会社として知られる。
≪フランス東インド会社(1664~1796)≫
インド南部の拠点を中心に活動しましたが、イギリス東インド会社との競争に敗れる。
これらの会社は、貿易独占権を持ち、現地での軍事力や行政機能も兼ね備えており、現地の経済や政治に大きな影響を与えました。
- スペイン統治(1626年 – 1642年)
〔紅毛城〕
スペインは、台湾北部〔現在の基隆市(きいるんし)〕に拠点を築き、サント・ドミンゴ城(紅毛城 こうもうじょう)を建設しました。スペインもまた台湾を貿易拠点とし、中国や日本との交易を行いました。
スペイン統治時代には、キリスト教の布教も行われ、キリスト教の宣教師が台湾に入りました。
しかし、スペインの統治はオランダ東インド会社との衝突や台湾原住民との対立などにより困難を極めました。1642年にはオランダによってサント・ドミンゴ城が陥落し、スペインは台湾から撤退しました。
しかし、オランダの統治は原住民との衝突や貿易上の問題などもあり、一部の地域では反乱や抵抗も見られました。最終的には鄭成功(ていせいこう)〔明朝の将軍〕による攻撃によってオランダは台湾から追放され、鄭氏政権〔台湾初の漢民族政権〕が始まりました。
鄭成功と鄭氏政権時代(1661年 – 1683年)
〔鄭成功〕
17世紀の後半になると、明朝の将軍であった鄭成功(ていせいこう)がオランダを追い払い、台湾を拠点に清朝に抵抗しました。
鄭成功の死後も息子の鄭経(ていけい)、克塽(こくそう)が台湾を統治しましたが、1683年に清朝の康熙帝(こうきてい)〔清の第4代皇帝〕によって滅ぼされます。
清朝統治時代(1683年 – 1895年)
〔清の第4代皇帝 康熙帝〕
1683年に清朝が台湾を支配下に置き、福建省の一部として行政区画に組み込みました。漢民族の移民が増加し、農業や経済が発展しましたが、先住民との摩擦や反乱も頻発しました。
1895年の日清戦争(にっしんせんそう)の結果、台湾は下関条約(しものせきじょうやく)により日本に割譲(かつじょう)〔領土の一部を他国にゆずり渡すこと〕されます。
【日清戦争(にっしんせんそう)】
日清戦争は、1894年から1895年にかけて、日本と清朝(中国)の間で行われた戦争です。
朝鮮半島の勢力争いが背景にあり、日本は清朝に宣戦布告しました。そのころ日本は軍事的な近代化を遂げており、海軍・陸軍ともに優れた戦力を持っていたと言われます。
1895年の下関条約により、清朝は台湾と澎湖諸島(ほうこしょとう)などを割譲し、朝鮮は日本の影響下に置かれることになりました。
【下関条約(しものせきじょうやく)】
1895年に日清戦争の終結に伴い、日本と清朝の間で締結された条約です。この条約により、清朝は台湾、澎湖諸島、および遼東半島(りょうとうはんとう)を日本に割譲し、巨額の賠償金を支払うことになりました。
また、朝鮮の独立を認めることも含まれており、この条約は日本のアジアにおける影響力を大きく高めました。
日本統治時代(1895年 – 1945年)
日本統治時代〔約50年〕の台湾は、下関条約により台湾が日本に割譲されたことで始まりました。
この時期、日本は台湾に近代的なインフラを整備し、農業や経済を発展させました。同時に、皇民化政策(こうみんかせいさく)〔日本文化や習慣に同化させる政策〕を進め、住民に日本語教育を強制しました。住民の抵抗もありましたが、台湾は日本の重要な拠点となりました。
しかし、第二次世界大戦後、日本の敗戦により台湾は中華民国に返還されます。
【皇民化政策(こうみんかせいさく)】
現在では考えづらいですが、日本統治時代には、日本の教育制度が導入されたこともあり、日本語が台湾の公用語として広く使用されていたそうです。実際に今でもご年配の方で話せる方が結構いらっしゃいます。
そして、台湾には富士山より高い山である玉山(ぎょくざん)〔日本名は新高山(にいたかやま)。新しい日本一の山として明治天皇が名付けた〕標高3,952mがあるのですが、その時代の日本一高いは玉山(ぎょくざん)とも言われていました。
中華民国時代(1945年 – 現在)
第二次世界大戦後、日本の敗戦に伴い台湾は国民党政府(中華民国)の統治下に入りました。
しかし、1949年、中国内戦(国共内戦)において中国共産党が勝利し、中華人民共和国(中国)が成立しました。それにより、国民党政府は敗北し、中国本土から台湾島へと逃れることになります。
それにより、中国と台湾の政治的な関係が複雑化していきます。
【国共内戦】
国共内戦は、第二次世界大戦後の中国で、中国共産党〔毛沢東(もうたくとう)率いる〕と中国国民党〔蔣 介石(しょうかいせき)率いる〕の間で行われた戦争です。
政治的な対立、経済的な問題により戦争は1946年に本格化、国共二党は全国各地で戦闘を繰り広げました。共産党は農民や労働者からの支持を得て勢力を伸ばし、国民党は軍事力を背景に戦いました。
1949年、共産党が勝利し中華人民共和国を建国、そして国民党は台湾に撤退しました。この戦争は中国の政治構造を大きく変え、中華人民共和国の成立と台湾と中国の分断をもたらしました。
現代の台湾
1980年代~1990年代にかけて、台湾は急速に民主化し、1996年には初の総統〔国家元首〕直接選挙が行われました。
そして、台湾は経済的にも技術的にも発展し、アジアの重要なハイテク産業拠点となっています。台湾海峡を隔てた中国との関係は複雑で政治的な緊張は続いていますが、独自の民主主義体制と文化を維持しています。
『台湾』の国際社会の認識
1949年以降〔国共内戦以降〕、共産党が勝利して中華人民共和国を建国したこともあり、多くの国が中華人民共和国を中国の唯一の正統政府として認め始めました。
さらに、ここ数十年の中華人民共和国の経済成長は目覚ましく、地政学的にもアジア地域における重要な存在となりました。それにより、多くの国が中華人民共和国(中国)との関係を強化し、中国を唯一の正統政府として認識するようになってきます。
特に大きい出来事だったのが、1971年の国連総会決議により、中華人民共和国が「中国」の代表として国連における席を占めることが決定されます。※それまでは台湾(中華民国)が国連の常任理事国でした。
【国際連合】
国連(国際連合)は、戦後1945年に設立された国際機関になり、平和維持や安全保障、人権の尊重、経済発展、国際法の発展などを促進するための組織です。加盟国が協力して国際問題を解決し、持続可能な開発を目指しています。
それにより、台湾(中華民国)は国連の代表権を失い、多くの国が外交関係を中華人民共和国と樹立したため、台湾は国際社会で孤立することとなりました。
実際に日本も、1972年9月29日に当時の田中角栄首相と、周恩来首相(しゅうおんらい)が日中国交正常化のための『日中共同声明』に調印し、後に日中平和友好条約が締結されたこともあり、台湾(中華民国)を一つの国家として認めるのが難しい状態になっています。
〔周恩来首相〕
現在、わずかな国〔世界で十数か国のみ〕が中華民国(台湾)を正式な国家として承認していますが、ほとんどの国は中華人民共和国との外交関係を優先しています。そのため、台湾は実質的には独立した政府と経済を有した国家として機能はしておりますが、正式な国際的承認は限られています。
中国も台湾を自国の一部と主張しており、一方で、台湾は国際的な存在感を高めようと、中国との関係改善のための努力も行われ、お互いの関係は緊張を伴いつつも経済や文化面での交流があるのですが、政治的な問題や主権の問題により、中国と台湾の関係は依然として複雑な状況にあります。