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【世界のゾッとする歴史の雑学⑥】インドのカースト制度の話

【 世界のゾッとする歴史 】

驚くほど不平等な制度

インドのカースト制度は、何千年も続く社会階層のシステムで、人々の生活を根本的に決定してきました。この制度の背後には、厳格でありながら驚くほど不平等な現実が潜んでいます。


この古代の階層制度は、個人の社会的地位や職業、さらには結婚相手までをも決定するものであり、現在でも一部の地域やコミュニティでは根強く残っています。


カースト制度とは?


カースト制度の歴史


カースト制度の起源は、紀元前1500年頃にインド亜大陸に侵入したアーリア人〔古代に中央アジアからインドやイランに移住し、そこで文化や言語の基盤を築いた古代の民族〕によってもたらされたとされています。

古代インドの宗教文献「ヴェーダ」に基づいており、この制度は宗教的な正当性を持つものでしたが、時が経つにつれて社会的な抑圧の道具となりました。



この制度は時間とともに細分化され、数千ものカーストやサブカーストが存在します。


主なカースト制度の4つのヴァルナ(階級)

バラモン(Brahmin):司祭


クシャトリヤ(Kshatriya):戦士や王族


ヴァイシャ(Vaishya):商人や農民


シュードラ(Shudra):労働者(隷属民:特権階級の支配を受け労働を強いられる人々)




更に、これらヴァルナ(階級)の外にも「不可触民(ふかしょくみん)」と呼ばれるダリット(Dalit)という人たちが存在し、最も過酷な差別を受けています。


この不可触民は、清掃や死体の処理など、他の階層が避ける仕事を強いられ、ダリットが他の階層の人々に触れることはずっと禁じられていました。


「カースト」の語源

「カースト」の語源は、ポルトガル語の「casta(カスタ)」に由来し、「純粋」や「血統」を意味します。この用語は、16世紀にポルトガルの探検家がインドの社会階層を記述する際に使い始めました。

植民地前のカースト制度は、宗教的・文化的背景に基づいた地域ごとの多様性の体質を持っていましたが、植民地化の後はイギリスの影響でその制度も固定化され、公式記録に基づくものとなり、社会的・経済的に更に不平等なものとなっていきます。

カースト制度で起きた実話


ここでは、カースト制度の悲惨さを物語る実話を紹介します。


【ダリットの悲劇】


ダリットは、かつて「不可触民」と呼ばれ、他のカーストから極端に差別されてきました。

村の中でも特定の地域だけに住むことを強いられ、他のカーストの人々と直接触れることすら許されませんでした。

そのため、ダリットは井戸や公共の水源から水を汲むことすら許されないことが多かったといわれます。


ある村では、ダリットの女性が井戸から水を汲もうとしたところ、他のカーストの人々に殴られ、その後、村全体から追放されました。

彼女は水を求めて他の村などを彷徨い、最終的に命を落としたといわれます。


学校や社会での差別


教育や社会の場でもカースト制度の影響は深刻です。


ある村の学校では、ダリットの子供たちは教室の後ろに座らされ、教師から直接の指導を受けることができず、他の生徒と話すことも禁止されました。

教科書は他の子供たちが使い終わった後の古いもので、新しいものを使うことは許されていませんでした。


教育だけではなく、雇用、医療など、あらゆる面でダリットの人たちを苦しめており、賃金が高い仕事に就くことは難しく、貧困から抜け出すことがなかなかできないとされています。

さらに、女性にも深刻な影響を与えています。ダリット女性は性暴力の被害者になることが多く、その被害を訴えることさえ難しい状況にあります。警察や司法機関もカースト制度の影響を受けており、ダリットの権利が守られることは稀です。


変わりつつあるカースト制度

しかし、近年のインドではカースト制度に対する反対運動や改革が進んでいます。多くのダリットが教育を受け、社会的地位を向上させるために奮闘しています。


最近では、ダリットや下位カースト出身の政治家が重要なポジションに就くことも増えてきました。

現代におけるカースト制度


インド政府は憲法でカースト制度による差別を禁止し、ダリットを保護するための法律を制定していますが、実際のところその施行は不十分といわれます。

一部のダリットは教育やビジネスの分野で成功を収めていますが、それは依然として少数に過ぎません。

多くのNGOや人権団体がダリットの権利を守るために活動しており、カースト制度に対する意識を高めるための教育プログラムやキャンペーンを展開しています。それにより、少しずつ状況が改善されつつありますが、完全に消滅させるにはまだ時間がかかるとされています。