【世界のゾッとする戦争『雑学』①】敗北エミュー戦争、日本軍風船爆弾

【 世界の『戦争』雑学 】
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世界の珍しい戦争

オーストラリア『エミュー戦争』


オーストラリアには「エミュー戦争」と呼ばれる異色の歴史があります。1932年、第一次世界大戦の退役兵たちが仕事を求めて西オーストラリアに移住した際、大量発生した数万羽のエミュー(大型の鳥)が作物を襲い、農民の生計を脅かしました。

それに対抗するため、政府は農業地帯でのエミューの侵入を抑えるべく、軍隊を動員してエミュー狩りを行うことを決定しました。1932年11月、軍は軽機関銃とエミューを捕獲するための車両を駆使して出動しました。しかし、エミューは非常に素早いため狩りが難航します。

軍は初日に数百発の弾丸を撃ち込みながらも、わずか数十羽しかエミューを倒せなかったため、戦況は軍の不利に傾きました。報道陣の前で苦戦が報じられ、このエミュー戦争は一種の笑い話となったそうです。

最終的に数千羽ぐらいの撃退にとどまり、政府は12月10日に軍のエミュー狩りを中止することを決定し敗北を認め、エミュー戦争は短期間で終結しました。この出来事はオーストラリアの歴史の中でユニークで奇妙なエピソードとして覚えられています。


日本軍の『風船爆弾(ふうせんばくだん)』


風船爆弾(ふうせんばくだん)は、第二次世界大戦中、日本がアメリカやカナダなどの北米地域に対して秘密裏に行った戦術の一つになります。気象観測用の気球〔和紙を利用した直径約10メートルの大型風船〕に爆弾焼夷弾(しょういだん)〔燃料を多く含んだ爆弾で着弾した際に発火させる目的で設計された爆弾の一種〕を取り付け、高高度〔上空1万m付近〕の風上へ放流して敵地に到達させるというものでした。

1944年~1945年、日本軍は太平洋上空に爆弾や焼夷弾を取り付け、偏西風〔地球の周りを西から東へ吹く風〕に乗せてアメリカへ送り込みます。これらの風船爆弾は大気圏を高高度で漂わせ、降下時に爆発させます。結果は約9,000基が製造され、そのうちの約300基が到達しました。

1945年5月、アメリカのオレゴン州で、風船爆弾が起因とみられる爆発が発生したことで、風船爆弾の作戦が判明することになります。この攻撃は日本軍によるものであることが確認されつつも、アメリカ政府は報道規制を敷いて戦意をくじくため、当初は広く知れ渡ることはなかったといわれます。

なお、この作戦は極秘事項であった為、日本国内でもあまり知られることはなかったそうです…


第一次世界大戦中の『クリスマス休戦』

第一次世界大戦中、西部戦線での激しい戦闘の中で、ある特異な出来事が起きます。それはクリスマス休戦(1914年)と呼ばれる出来事で、クリスマスの夜に敵対する陣営同士が非公式に停戦し、その前線で親善活動を行ったのです。

この休戦では、イギリスとドイツの兵士たちが一時的に戦闘を中断し、武器を捨てて敵対しないことで合意しました。前線に立つ兵士たちは歌を歌い、食料や煙草を交換し、クリスマスの平和な雰囲気を共にしました。ある場所ではフットボールの試合まで行われたという報告もあります。

このクリスマス休戦は一時的なものでしたが、敵対する兵士たちが人間らしい一面を見せた瞬間であり、同時に戦争の不条理さを感じさせるものでした。後にこのような休戦が行われたことは、戦争の歴史の中で異例の出来事として世界に広まることとなります。