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【世界のゾッとする歴史の『雑学』②】ファラオ絶大権力、8,000体兵馬俑

【 世界のゾッとする歴史 】

霊魂は死後の世界へ 絶大なる権力を持った帝王たち

死後も絶大な権力『ファラオ』


古代エジプトファラオ〔古代エジプトの王または君主の称号〕は神聖な存在として崇拝されており、ファラオが死んだ後も権力者としての影響力はそのまま継続し、エジプトの宗教的な信念に基づき霊魂は死後の世界へと移行し不滅であると考えられていました。

そのため古代エジプトでは、ファラオの死後も絶大な権力を保つため、家族はもちろん臣下が死んでも一緒に埋葬されました。

ピラミッドはそのファラオのための墓として知られていますが、この巨大な建造物には死後の世界での繁栄を確保するため財宝や神聖な物品が納められ、冥界への旅に備えるために建設されたと言われています。


エジプトのギザにある『三大ピラミッド』は古代エジプトのファラオたちによって建設されたのですが、その中でも最大のピラミッドは、「クフ王」〔紀元前26世紀に古代エジプトを統治した第4王朝のファラオ〕のピラミッドで約146メートルなります。

その隣にある「カフラー王」〔クフ王の息子〕のピラミッドは約136メートル。そして「メンカウラー王」〔カフラー王の息子〕のピラミッド約65メートルになります。

クフ王のピラミッドで建築期間は約20年~25年。数百万トンともいわれる石灰岩や花崗岩は主にエジプト中部や南部の採石場から切り出され、ナイル川を使ってピラミッド建設現場まで運搬し、積み上げるために数万が動員されたと推定されています。

クフ王の巨大なピラミッドは、西暦1311年になりイングランド東部にリンカーン大聖堂(160メートル)が建築されるまで、実に4000年近くものあいだ世界で最も高い人工の建造物とされていたのです。



秦の始皇帝と8,000体の兵馬俑


中国の始皇帝(しこうてい)は、紀元前221年(紀元前3世紀)に中国を統一した中国の初代皇帝として知られています。その功績だけでは治まらず始皇帝は永遠の存在を願い、死後もその権力を維持するために壮大な葬儀を計画しました。そして、その葬儀には、驚異的な数の兵馬俑(へいばよう)が用意されることとなります。

始皇帝の巨大な墓地には8,000体以上もの、それぞれ異なった姿勢や表情を持った兵馬俑が配置されているのですが、実際の戦いで使用される武器や防具を細部までリアルに再現されている精巧な彫刻品でつくられています。それは、始皇帝が死後も戦を指揮し、始皇帝を守護するためとして制作されたと考えられています。

実は、これらの兵馬俑はつい数十年前まで長らく地下に眠っていたのですが、中国の陝西省西安市近郊で1974年に地元の農夫が偶然発見します。この発見は世界中で注目を浴び、考古学者たちによって始皇帝の墓地を詳しく調査したところ、とんでもない数の兵馬俑が出てきたのです。

兵馬俑は中国の歴史と文化における傑作とされており、中国の観光名所として多くの観光客がその迫力ある姿を見に訪れています。


『始皇帝』とはどんな人…?


秦の始皇帝(紀元前259年 – 紀元前210年)は、中国の秦朝を建国した統治者であり、本名は嬴政(えいせい)です。彼は中国の統一を達成し、中国史上初めて皇帝の称号を使用した人物として知られています。

【中国の統一】

戦国時代の末期、紀元前221年に中国を統一し、六国(りっこく)※を滅ぼして秦朝を建国しました。これは中国史上初めての統一国家でした。

【万里の長城の建設】

北方の遊牧民族からの防衛のため、秦始皇帝は万里の長城の一部を建設しました。これは後に中国の象徴的な建造物となり、国の防衛を強化しました。

【咸陽(かんよう)の都城建設】

秦の都を咸陽(かんよう)に移し、大規模な宮殿や城壁を築きました。この都市は後に中国の首都としての役割を果たします。

【法典の制定】

法家(ほうか)の思想〔法による厳格な政治、君主の権力の強化〕に基づいて法典を制定し、統一的な法律体系を整備しました。これにより国内の秩序が統一され、支配を強化しました。

【通貨と文字を統一】

通貨を統一、さらに文字統一の政策を採用しました。文字の統一は、異なる地域で使用されていた文字を統一して統治の合理化を図りました。

しかし一方で、始皇帝の統治は非常に厳格で独裁的であり、儒教(じゅきょう)〔孔子(こうし)が唱えた教育と学問〕の思想を弾圧するなど、多くの反感を招きました。その中でも『焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)』の政策は、多くの書物などを焼き尽くし当時の知識人に大きな影響を与えました。そのため歴史的に始皇帝のやり方には賛否両論あるのですが、中国の歴史に深く影響を与え、中国帝国の礎を築きました。

【六国(りっこく)、戦国七雄(せんごくしちゆう)】とは?

春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)紀元前770年 – 紀元前221年において、特に春秋時代と戦国時代を通じて存在した諸国のなかでも、力を持ち争った6つの主要な国【齐(せい )、楚(そ)燕(えん )韓(かん)、趙(ちょう)、魏(ぎ)を指します。

秦(しん)の東にあるので東方六国とうほうりっこく)ともいい、秦も含め当時有力だった七国を戦国七雄(せんごくしちゆう)と呼ばれています。これらの国々は、互いに戦争や同盟を通じて中国の地図を塗り替え、最終的に秦の統一に至りました。