約8,000ものミイラや骨が並ぶ地下納骨堂

イタリアのシチリア島パレルモにあるカプチン会修道士墓所には、実際に約8,000もの遺体(ミイラ)や骨が並ぶ地下納骨堂が存在します。
この墓所は「カプチン修道院のカタコンベ(地下の共同墓地)」として知られ、非常に特異な墓所として知られています。
この納骨堂は16世紀から19世紀にかけて使用され、カプチン会修道士たちが死亡した後にその遺体を保存するために使用されました。
カプチン・フランシスコ修道会の起源

〔アシジの聖フランシスコ〕
カプチン・フランシスコ修道会は、16世紀初頭にイタリアで設立されます。創設者の一人であるマテオ・ダ・バシオは、アシジの聖フランシスコの精神に基づき、貧しさと簡素さを追求する新しい修道会を目指しました。
『カプチン』という名前は、彼らが着用するフード付きの修道服(カプッチョ)に由来しています。

〔マテオ・ダ・バシオ〕
【アシジの聖フランシスコ】
アシジの聖フランシスコとは、イタリアのアシジ出身のカトリック教会の聖人であり、フランシスコ会の創立者です。彼の生涯と教えは、キリスト教に大きな影響を与えたとされています。
フランシスコ会は現在も世界中に存在しており、清貧と慈善活動を重視する教えや、学校、病院、孤児院などを運営して教育や医療を提供しています。
カプチン会の修道士とは?
カプチン会の修道士たちは、つつましい暮らしを貫く誓いを立てています。
そして、修道士は贅沢を避け、自己を犠牲にする精神を重んじ、祈りや瞑想、労働といった日々の営みを通して、信仰を深めていきます。
また、必要最小限の物だけを持ち、互いに支え合いながら共同生活を営むのが特徴です。
カタコンベ(地下の共同墓地)の始まり
カタコンベの歴史は、1599年に始まります。最初にここに埋葬されたのは、修道士シルベストロ・ダ・グビオ。彼の遺体が自然にミイラ化したことをきっかけに、他の修道士たちも同様の方法で埋葬されるようになりました。
その後、裕福な市民や著名人たちの間でもこの埋葬方法が広まり、カタコンベは一般にも開放。やがて、数千体ものミイラ化した遺体が保存されるようになります。
このカタコンベの最大の特徴は、遺体が驚くほど良好な状態で保存されていることです。多くの遺体は、ミイラのまま壁に立てかけられたり、ガラスケースの中に安置されています。
また、カプチン会修道士墓所は、複数の回廊から構成されており、それぞれの回廊には異なるカテゴリーの遺体が収められています。
たとえば、修道士の回廊、女性の回廊、子どもの回廊、専門職の回廊などがあり、これによって訪問者は、当時の社会構造や埋葬文化の一端を垣間見ることができます。
「世界で最も美しいミイラ」
このカタコンベで最も有名なのは、幼くして亡くなったロザリア・ロンバルドのミイラです。1920年に亡くなった彼女は防腐処理により、まるで眠っているかのような姿で保存され、「世界で最も美しい少女のミイラ」と呼ばれています。
カプチン修道院のカタコンベは墓所というだけではなく、死を見つめ直し、生の大切さを考える場としても開かれ、この場所を通じて人々に死後や信仰について考えるきっかけを与えようとしました。
ここは、過去の人々の生と死に触れ、死生観を見つめ直す貴重な場所でもあるのです。

