2月11日の出来事
バチカン市国の誕生― 世界最小の国家が生まれた日
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イタリアの首都ローマの一角に、世界で最も小さな独立国家「バチカン市国」が存在しているのをご存じでしょうか?
その面積はわずか0.49平方キロメートル〔人口は約 800人(2024年時点)〕
東京ディズニーランドよりも小さいこの国は、ローマ教皇(法王)が統治し、カトリック教会の中心地として世界中の信者から崇敬を集めています。
しかし、なぜローマの中に独立国家が存在しているのでしょうか…?
その答えは、1929年2月11日に締結された「ラテラノ条約」にあります。
今回は、この歴史的な出来事を分かりやすく解説します!
カトリック教会とは? キリスト教とカトリック教会の違い
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カトリック教会の誕生は、イエス・キリストの教えに始まります。
紀元1世紀ごろ、イエスがガリラヤ地方〔現在のイスラエル北部〕で教えを広め、弟子たちと共にキリスト教の基盤が築かれました。イエスの死後、弟子たちがその教えを伝え始め、キリスト教が広がります。
その後、ローマ帝国内でキリスト教は急速に広まり、313年のミラノ勅令(ミラノちょくれい)〔キリスト教を公認した法令〕で公認され、教会組織が整備されました。
5世紀にはローマ教皇がキリスト教の最高権威として位置づけられ、カトリック教会としての形が確立します。
キリスト教はイエス・キリストを信じる宗教全般を指し、カトリック教会はその中の主要な宗派(最大の宗派)で、ローマ教皇を中心に教義や儀式を行う組織となります。
イタリアとカトリック教会の長い対立
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〔1870年の教皇領の地図〕
バチカン市国が誕生する以前、ローマ教皇庁とイタリア政府は長い間対立していました。そのきっかけは、19世紀にさかのぼります。
当時、イタリア半島には「ローマ教皇領」と呼ばれる広大な土地があり、ローマ教皇が実質的な支配者として統治していました。しかし、19世紀後半になると、イタリア統一運動が活発化し、次第に各地の王国や都市が統一されていきます。
イタリア統一運動(リソルジメント)は、19世紀中盤、イタリア半島の複数の独立した国や王国を統一し、イタリア王国を建国するための政治運動です。
そして、1870年、イタリア王国軍がローマに侵攻し、教皇領は完全に消滅。ローマはイタリア王国の首都となりました。
これに対し、ローマ教皇は激しく反発し、教皇庁は自らを「バチカンの囚人(囚われの身)」としてローマのバチカン宮殿に閉じこもり、長年にわたる「ローマ問題」〔イタリア統一後、ローマ教皇が教皇領を失い、教会とイタリア政府の対立が続いた問題〕が発生しました。
ラテラノ条約― 教皇とイタリア政府の和解
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〔調印式に臨むガスパッリ枢機卿(教皇代理)とムッソリーニ首相〕
この対立は約60年間続きましたが、1929年2月11日、ついに解決の時が訪れます。
イタリア政府(当時の首相はベニート・ムッソリーニ)とローマ教皇庁(当時の教皇はピウス11世)が「ラテラノ条約」を締結し、バチカン市国の独立が正式に認められたのです。
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この条約の主な内容は以下の3つでした。
- バチカン市国の独立
- イタリア政府はバチカン市国を主権国家として正式に承認。
- バチカンはカトリック教会の中心地として完全な自治権を持つことになった。
- カトリック教会とイタリアの関係修復
- イタリア政府はカトリック教会の宗教的権利を認め、公立学校でカトリック教育を行うことを約束。
- これにより、カトリックはイタリアの「国教」となった(※1984年に改正)。
- 賠償金の支払い
- イタリア政府は、教皇領を失ったことへの補償として、教皇庁に多額の賠償金を支払うことを決定。
- イタリア政府は、教皇領を失ったことへの補償として、教皇庁に多額の賠償金を支払うことを決定。
この条約により、長年続いたローマ教皇とイタリア政府の対立は終結し、バチカン市国は世界で最も小さな独立国家として誕生したのです。
バチカン市国の現在― 宗教と文化の中心地
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〔ラテラノ合意によって設立されたバチカン市国の領土〕
バチカン市国は、面積こそ小さいものの、その影響力は計り知れません。
現在、バチカン市国は カトリック教会の中心地 として、また ローマ教皇の住まい として、世界中の信者にとって重要な場所となっています。
ローマ教皇は12億人以上のカトリック信者の精神的指導者として世界に影響を与え、バチカンにはサン・ピエトロ大聖堂(カトリック最大の教会)やシスティーナ礼拝堂(ミケランジェロの天井画で有名)など、世界的に有名な宗教施設や美術品が数多く存在します。
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〔サン・ピエトロ大聖堂〕
また、バチカン市国は独自の国旗、通貨(ユーロを使用)、郵便制度、そして世界最小の軍隊「スイス衛兵隊」を持つ、れっきとした独立国家です。
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国土が狭いため、ほとんどの住民は教皇庁の関係者で占められ、一般市民はバチカン市国に住んでいませんが…
まとめ
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1929年2月11日に締結されたラテラノ条約によって、バチカン市国は正式に誕生しました。
それにより、イタリアとカトリック教会の長年の対立が解決し、バチカンは世界で最も小さな独立国家として、宗教的な影響力を持つ存在となりました。
今日に至るまで、バチカンはローマ教皇のもと、信仰の中心地であり、世界中のカトリック信者にとって精神的な拠り所となっています。
普段、あまり意識することのないバチカン市国ですが、その誕生には複雑な歴史があったのです。その影響は、宗教だけでなく文化や政治にも深く関わっています!
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