海の不思議な現象
『フライト19失踪事件』バミューダトライアングル
バミューダ・トライアングルは、北大西洋上に位置する三角形の領域で、アメリカのフロリダ州マイアミ、バミューダ諸島、プエルトリコの3つの地点をつなげそのように言われています。この地域はしばしば航空機や船舶の不可解な失踪が発生する場所として知られています。
『フライト19失踪事件』
バミューダ・トライアングルでは、20世紀にいくつかの船舶や飛行機が行方不明になりました。最も有名なのは1945年の『フライト19失踪事件』と呼ばれるアメリカ海軍の雷撃機5機が忽然と姿を消した事件です。
1945年12月5日、アメリカ海軍のフライト19はバミューダ・トライアングル上空で訓練飛行中に失踪。5機の雷撃機と14人の乗組員が行方不明に。
当初は目的地を見失い、燃料切れで海上着水と考えられたが、捜索隊は行方不明の航空機や乗組員の痕跡を見つけることができませんでした。この事件は未だに解明されておらず、航空史上の謎の一つとして残っています。専門家たちは様々な仮説を立てつつも真相はつかめていません。
【地磁気異常】
実際にトライアングル内では地磁気異常が報告されています。コンパスの針を狂わせ、船舶や飛行機の正確な航行を妨げる可能性があるとはされていますが、それが失踪事件の主な原因であるかどうかは科学的に証明されていません。
【急激な気象変化】
バミューダ・トライアングルはハリケーンが発生しやすい地域でもあり、急激な気象変化が船舶や航空機に影響を与える可能性があります。これが事故の原因の一部とされています。
【超常現象や異次元空間の扉説】
都市伝説やフィクションでは、バミューダ・トライアングルが異次元への門や超常現象の地であるとする説が広がっていますが科学的な立証はありません。
バミューダ・トライアングルの謎は、気象条件や地磁気の異常などが原因とされることもあれば、超常的な要素を信じる人もいます。科学的な解明は進んでいませんが、多くの事例は通常の事故や自然現象に起因している可能性が高いとされています。
『船の墓場』喜望峰(きぼうほう)
喜望峰(Cape of Good Hope)は、南アフリカの最南端に位置する岬で、アフリカ大陸の先端にあたります。15世紀の大航海時代〔15世紀から17世紀にかけてヨーロッパ人が新しい地域を発見し交易に挑んだ時代〕にはアフリカ航路として重要視されました。
岬周辺は美しい自然が広がり、澄み切った空気と荒涼とした風景が特徴なのですが、ポルトガルの航海者バルトロメウ・ディアスが1488年にヨーロッパ人として初めてこの地に到着します。
(バルトロメウ・ディアス)
そして1497年バスコ=ダ=ガマが喜望峰を回りはじめて航海としてインドに到達しました。
【バスコ=ダ=ガマ】とは?
15世紀末のポルトガルの冒険者で、海路を使ってインドに到達した先駆者です。1497年、アフリカの喜望峰を回りインド洋を横断しました。それによりヨーロッパはアジアとの直接的な貿易路を確立し、香辛料や絹などの貴重な商品を取引できるようになりました。バスコ=ダ=ガマの航海は大航海時代を象徴し、地理的な発見と経済的な繁栄をもたらしました。
(バスコ=ダ=ガマ)
しかし、喜望峰は大西洋とインド洋の海洋流が交差する地点に位置していることから激しい海象や急激な気象変化が発生しやすくなります。更に南極からの寒気が北上してくるため、強風が海上に大きな波を生み出しやすくなります。船がアフリカの南端を回り込む際に、これらの自然の要因が航行を難しくし、船が沈没する大きな原因となりました。
実際に発見者のバルトロメウ・ディアスも当時その岬を「嵐の岬」と名付けたと言われています。その後、ポルトガルの国王であったジョアン2世が新しい航路を開拓したという喜びと希望を込めて『喜望峰』と改名しましたが、航海者にとっては困難な航路とされ『船の墓場』といわれていました。
現在では航行技術や気象予測の向上により喜望峰周辺の航行は比較的安全になったと言われており、船の墓場とされた時代からは航海が改善されたと言われています。そして美しい自然景観と海岸線で知られ観光地としても人気があります。