史上最悪のインフレ:ハイパーインフレーション

ハイパーインフレーションとは、物の値段(物価)がとても早く、大きく上がってしまう状態のことをいいます。
普通のインフレーション(物価上昇)は、1年で数%くらいのゆるやかな上がり方ですが、ハイパーインフレーションでは1か月や1週間で何十%、何百%も上がることがあります。
暮らしへの影響はとても深刻
このような物価の急な上昇によって、次のような問題が起こります。
- 食べ物や日用品の値段がどんどん高くなり、日々の生活が苦しくなる。
- 貯金していたお金の価値がどんどん下がり、財産が目減りしてしまう。
- 会社やお店の経営が難しくなり、失業する人が増える。
ハイパーインフレーションはなぜ起きるの?
ハイパーインフレーションは、次のような原因で起こることが多いとされています。
- 政治の混乱や内戦
- 戦争での敗北
- 政府の経済政策の失敗
こうなると、国のお金の信用がなくなり、「このお金は信用できない」と人々が思ってしまうのです。
すると、みんなは国内通貨を使わなくなり、外貨やモノに交換しようとします。これがさらに混乱を呼び、お金の価値がどんどん下がる悪循環になります。
ハイパーインフレーションからの回復はとても困難
一度ハイパーインフレーションが起きると、そこから抜け出すのはとても難しいです。国は、次のようなことをしなければなりません
- 通貨(お金)の仕組みを安定させる
- 経済政策を大きく変える
- 海外の支援を受ける
- 国民の信頼を取り戻す努力をする
こうした対応には長い時間と厳しい改革が必要になります。
『ヴァイマル共和政(ドイツ)』のハイパーインフレーション

1920年代のドイツ(ワイマール共和国)では、世界でも最悪レベルのハイパーインフレーション(物価の急上昇)が起きました。
特に1923年には、お金の価値がほとんどなくなるほどの深刻な状態に陥ります。
1ドル=4.2兆マルク!?信じられないお金の崩壊
このころのドイツでは、1ドルが4兆2,000億マルクという、信じられないほどのレートになりました。
物価は毎日のように上がりつづけ、時には数時間でお金の価値が下がることもあったのです。たとえば、朝にパンを1個買えたお金で、夕方には何も買えなくなっていたという話もあるほどです。
なぜ、こんなことが起きたのか?

原因の一つは、第一次世界大戦でドイツが負けたことにあります。
- 戦争にかかったお金が莫大だった
- 敗戦国として、他の国に多額の賠償金を支払わなければならなかった(現在の価値で数百兆円)
ドイツ政府はこの支払いに追われ、どうにかしようとどんどん紙幣を刷って(増やして)しまいました。でも、お金の量が増えすぎると、そのお金の価値が下がってしまうのです。
これがハイパーインフレーションを引き起こしました。
お金よりも物が大事に
あまりにも物価が上がったため、人々はお金ではなく、金や食べ物など“本当に使えるもの”で取引するようになりました。
例えば:
- 50兆マルク紙幣(買い物には不便なほどの金額)
- パン1個のためにカゴいっぱいの紙幣が必要だったことも
このころは、お金が“紙くず”のような扱いになってしまっていたのです。
50兆マルク紙幣(1ドル=4.2兆マルク)

〔通常の買い物において実用的ではない金額である50兆マルク紙幣(1ドル=4.2兆マルクに達した1923年に発行)生活必需品や貴金属などの物品を取引する際に使用されることもありました〕
社会への影響は大きかった
- 多くの人が生活に困る
- 貯金が一気に無意味になる
- 政府への信頼も大きく失われる
その結果、人々の不満や不安が高まり、極端な政治思想に走る人が増えました。
この混乱のなかで力を持っていったのが、ナチス党とヒトラーです。ハイパーインフレーションの混乱が、やがて第二次世界大戦につながる流れをつくったとも言われています。
ヴァイマル共和政ってどんな時代?

〔1933年、首相官邸の窓に現れたヒトラー〕
ヴァイマル共和政は、1919年から1933年までドイツで続いた民主主義の政治体制です。
第一次世界大戦が終わったあと、ドイツでは「ヴァイマル憲法」がつくられ、それまでの王様や皇帝が支配する“君主制”が廃止されました。そして、ドイツで初めて国民の意見が政治に反映される“民主主義”の仕組みが取り入れられたのです。
しかし、その新しい政治体制は安定しませんでした。
- 政治の中では対立が続く。
- 経済も不景気やハイパーインフレーションで混乱。
- 国民の不満や不安が高まる。
こうした中で、ナチス党が勢いを増し、ヒトラーが力を握っていきます。
そして1933年、ヒトラーが首相になると、ヴァイマル共和政は終わりを迎え、ドイツは再び独裁体制に戻ってしまったのです。
『ハンガリー』のハイパーインフレーション

ハンガリーのハイパーインフレーションは、20世紀初頭に複数回発生しましたが、最も有名なのは1945年から1946年にかけてのものです。第二次世界大戦の終結後、ハンガリーは戦争の影響を受け、経済は混乱状態にありました。この混乱は、政治的な不安定により資源の不足、経済政策の失敗などによってさらに悪化しました。
そして、1946年にハイパーインフレーションが発生し、ペンゲー〔1927年1月~1946年7月まで使用されたハンガリーの通貨〕の価値が急激に低下しました。最終的に、発行には至らなかったものの、1,000,000,000,000,000,000,000ペンゲー(10垓ペンゲー)紙幣〔史上最高額の紙幣〕が印刷されるほど経済は崩壊していました。
ちなみに↓下の紙幣は1946年に実際に発行された史上最高額の1,000,000,000,000,000,000,000(1垓ペンゲー)紙幣になります。これだけ0が並んでいるのに価値は約0.2ドル(USD)だったそうです。

第二次世界大戦中にハンガリーはナチス・ドイツと同盟国として参戦し、戦争の末期にはドイツ軍による占領下にありました。その後、ソ連軍によって解放されましたが、その過程でハンガリーの経済は疲弊し、国庫は空っぽになっていました。
この状況下で、ハンガリー政府は戦費調達やインフレーション対策として大量の紙幣を発行しました。しかし、それによって通貨の価値が急激に下落し物価が爆発的に上昇しました。1日の間に価格が何倍にも跳ね上がることも珍しくありませんでした。
このハイパーインフレーションのピークには、ハンガリー通貨のペンゲーの価値は急速に失われ、国民の貯蓄は一瞬で無価値となり、経済活動は混乱しました。
この混乱を収束させるため、ハンガリー政府は最終的に1946年に新通貨である『フォリント』に置き換える、デノミ(denomination)〔通貨の単位や額面を変更 〕を決定しました。
※1フォリント=400,000,000,000,000,000,000,000,000,000ペンゲー(40穣ペンゲー)
この措置により、インフレーションは抑制され、通貨の価値が徐々に安定します。しかし、ハイパーインフレーションの影響は根深く、ハンガリーの経済に長期間にわたる影響を与えました。
『ジンバブエ』のハイパーインフレーション

ジンバブエでは2008年にハイパーインフレーションがピーク〔物価上昇が1日で2倍〕に達しました。その翌年には100兆ジンバブエドル紙幣が発行され日常的な買い物にも使用されました。
それは、やはり政治的な混乱や経済政策の失敗によって引き起こされたインフレでした。
この時期、ジンバブエでは政府が農地改革を行っており、白人の農場主から土地を取り上げ、それを黒人の農民に分配する政策を推進しました。しかし、この政策は経済に大きな混乱を招き、農業生産性が一気に低下しました。そんな最中、政府は財政赤字を埋めるために大量の紙幣を発行したため、インフレーションを加速させてしまいます。
人々は給料を受け取るとすぐに物を買っておかなければならない状況となり、貨幣の価値が失われていた為、現金の持ち運びも大量の札束になってしまうため非常に困難となりました。


〔2009年に発行された100兆ジンバブエドル。最終的にはインフレが更に進みこの100兆ジンバブエドルも日本円にして1円の価値もなくなりました。〕
このハイパーインフレーションは、ジンバブエの経済や社会に深刻な影響を与えました。多くの人々が貧困に陥り、生活必需品の不足にも直面しました。
そして、この政府の経済政策の誤りによって引き起こされたジンバブエのハイパーインフレーションは、その後の経済の崩壊や社会の不安定化につながりました。
