広島原爆の数百倍の威力『ツングースカ大爆発』

ツングースカ大爆発は、1908年6月30日にシベリアのツングースカ地域の上空で発生した謎の大爆発事件です。この事件は、地球上で観測された最大級の自然現象の一つとされています。
爆発は主に住人のいないシベリアの原野で発生したため、被害は限定的だったと言われていますが、その爆風によって巨大な木々が根こそぎ吹き飛ばされ、広範囲にわたり森林がなぎ倒されました。
ツングースカ大爆発の規模
ツングースカ大爆発の威力は、おおよそ5メガトンに相当するエネルギーを持っていたと考えられています。
それは広島原爆の数百倍の威力とされ、約1,000キロメートル離れた家の窓ガラスも割れ、爆発音は数千キロメートル離れた地域でも聞こえたと言われます。
爆心地から半径約50キロメートルの森林が炎上し、約2,150平方キロメートル〔東京都の面積と同じぐらい〕の範囲の樹木がなぎ倒されました。

(実際の写真)
ツングースカ大爆発の原因と特徴
爆発当時ロシアは戦争や革命などにより混乱していた時代ということもあり、調査は10年以上も後となってからになります。しかし、爆発の原因となったであろう隕石の破片が見つからず、原因は明らかにされない仮説のままの状態でした。
しかし、近年になり再調査が行われたのですが、現代の技術により微小の隕石の鉱物の破片が発見されます。〔大気圏内で隕石が粉々になったため当時では見つからなかったとのこと〕
そして、隕石(小惑星)が時速5万キロ以上のスピードで大気圏を突入し、上空約5~10キロの大気中で爆発〔NASAによると50~80mぐらいの隕石〕したことで空気中を伝わる空気振動による爆風の被害だったと結論づけました。
ちなみに、このような規模の隕石が地球に衝突する確率は1,000年に1回ぐらいではないか、と科学者たちは言っています。
突如現れた貴族風の少年『カスパー・ハウザー』の謎とその真相

(カスパー・ハウザーの肖像画)
カスパー・ハウザーは、19世紀初頭にドイツで謎めいた出現をした16歳の少年なのですが、彼の生涯は多くの不可解な話で満ちています。
カスパー・ハウザーの身元の謎と手紙
1812年にバイエルン地方のニュルンベルク(ウンシュリット広場)で、突如まったく名も無い状態で少年は現れました。
彼は歩行能力はあったものの話すことができず、手には手紙を持ち貴族風の装いでした。
そして、その手紙にはいくつかのメモが残され、彼がカスパーであり16歳であること、そして置き去りにされた孤児であり、父親は騎兵であったが既に死去しているとのことが書いてありました。
カスパー・ハウザーは発見後、ニュルンベルク市の保護を受け、ある教授のもとで教育を受け始めました。彼の出自や過去は依然として多くの謎に包まれていましたが、驚くべき感覚の鋭さを持ち、次第に言葉を覚え話せるようになっていきました。
しかし、そんな中で突然、正体不明の男に襲われる事件が起こります。
カスパー・ハウザー暗殺未遂と謎の死

カスパー・ハウザーは、1829年に仮面をかぶった刃物の男に襲われ、刺される事件に巻き込まれます。
幸いにも傷は浅く、命に別状はありませんでしたが、この出来事は彼の謎に満ちた人生に新たな疑問を投げかけました。
しかし、その後1833年、最初の襲撃の真相が分からないまま、カスパーは再び何者かに襲撃され、今度は胸を刺されてしまいます。この傷が致命傷となり、彼は29歳という若さで亡くなってしまいます。
最後まで正体は明かされず、その死には多くの謎が残されたのです。
問題なのは、2度目の襲撃について証言しているのが本人だけであることです。そのため、実際に襲われたのか、それとも自ら命を絶ったのか、真相は今も不明であり、一部では、王室や貴族の関与を疑う陰謀説も語られています。
カスパー・ハウザーの不思議な人生と死の謎は、小説や映画でもたびたび取り上げられており、今なお多くの人々の関心を集めています…
