肉食禁止令とは?日本で長く続いた肉食タブーの歴史と背景をわかりやすく解説

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肉食禁止令とは?


「肉食禁止令(にくしょくきんしれい)」とは、奈良時代の天武天皇の時代(675年)に出されたとされる、特定の動物の肉食を控えるよう促したとされる勅令・政策的な禁令のことです。



対象とされたのは主に以下の動物です。



これは「完全な肉食禁止」ではなく、特定の動物を中心とした限定的な制限でした。




肉食が制限された理由



この背景にはいくつかの要因が重なっています。


① 仏教の影響(不殺生の思想)



仏教では「不殺生(ふせっしょう)」という、生き物をむやみに殺さない考え方が重視されます。



② 生活・農業との関係



当時の家畜は食用というより、次のような役割を持っていました。


  • 牛: 農作業(田畑を耕す)

  • 馬: 移動手段

  • 犬: 番犬

  • 鶏: 時を知らせる

  • 猿: 人に近い存在としての倫理観



■実際の目的は農業政策だった可能性も



この肉食制限については、現実的な政策目的もあったと考えられています。


当時の牛や馬は、田畑を耕す重要な労働力や、農業生産を支える存在であったため、これらを保護する必要がありました。


そのため、


👉 農業に支障が出ることを防ぐための政策だった可能性

さらに、

👉 贅沢を抑え、労働に集中させる意図があったのではないか



という説もあります。




ただし、これらは明確な記録として断定されているわけではなく、複数の要因が重なった結果と考えられています。





奈良時代〜平安時代:肉食文化の変化




その後も仏教の広がりとともに、肉食への制限は強まっていきます。


特に有名なのが、聖武天皇の時代の政策です。


  • 猪・鹿などの野生動物も含めた殺生禁止の勅令

  • 仏教思想の強い影響


これにより、肉食は徐々に “タブー” として定着していきました。




精進料理の発展



肉食制限の流れの中で発展したのが精進料理(しょうじんりょうり)です。



特徴は以下のようになります。

  • 肉・魚を使わない

  • 野菜・豆類・海藻中心

  • 仏教修行の一環として発展


禅宗の影響もあり、現在の和食文化にも大きな影響を残しています。




江戸時代:生類憐れみの令



江戸時代になると、さらに強い動物保護政策が登場します。

それが、徳川綱吉による生類憐れみの令です。

対象は広く、

  • 犬・猫
  • 牛・馬
  • 鳥類
  • 魚類

など、生き物全般に及ぶものでした。

これにより、狩猟や肉食はさらに制限されることになります。





薬食い(くすりぐい)という工夫



しかし、人々は完全に肉をやめたわけではありませんでした。

そこで生まれたのが

👉 「薬食い(くすりぐい)」


という考え方です。



これは、

  • 猪肉=滋養強壮の薬

  • 鹿肉=体力回復の薬


というように、薬として食べる名目で肉を口にする方法でした。




当時の肉屋は「ももんじ屋」と呼ばれ、隠語も使われました。

  • 馬肉 → 桜

  • 猪肉 → 牡丹・山くじら

  • 鹿肉 → 紅葉




明治時代:肉食の解禁



大きな転換点が明治時代です。


明治4年(1871年)、文明開化の流れの中で、

👉 肉食が事実上解禁されます。



背景には、

  • 西洋文化の導入

  • 栄養改善(体格差の是正)

  • 国力強化

などがありました。



そして明治天皇自らが肉を食したことで、肉食文化は一気に広がったのです。






日本の肉食文化の変化まとめ


  • 奈良時代: 肉食制限の始まり

  • 平安〜鎌倉: 仏教とともに定着

  • 江戸時代: 生類憐れみの令で強化

  • 明治時代: 肉食解禁

👉 約1200年にわたり、肉食が「控えられる文化」が続いたといわれています。




最後に




肉食禁止令とは、法律という枠にとどまらず、

👉 仏教思想・政治・生活文化が重なり合って生まれた “長い食文化の変化”


でした。


その影響は、現代の日本の食文化にも今なお受け継がれています。


例えば、

魚中心の食事や精進料理の文化、さらには肉に対する価値観や言葉の表現などにも、当時の考え方の名残を見ることができます。