徳川家康の死因が“天ぷら”⁉

戦国の覇者、徳川家康の死因が“天ぷら”だったという説をご存じですか?
一見、都市伝説のように思えるこの話。しかし、史料をひも解くと「まさか……!」と思わず唸るような意外な事実が浮かび上がります。
今回は、家康の死因として語られる「天ぷら説」の真相と、そこに潜む歴史のミステリーをわかりやすく解説します!
徳川家康とは?~戦国を終わらせた男~

徳川家康(1543〜1616)は、戦国時代を終結させ、約260年続く江戸幕府を開いた初代将軍です。
天下分け目の関ヶ原の戦い(1600年)で勝利し、征夷大将軍に任命された1603年には、いよいよ幕府を開きました。
以後、家康は駿府(すんぷ)〔現在の静岡県〕に移り、幕政の実権を握り続けながら、75歳でこの世を去ります。
しかし、この“75歳”という当時としては非常に長寿な家康。その死因が「天ぷら」だったという説が、いま再び注目を集めています。
家康の死因=「鯛の天ぷら」?その説の真相とは

天ぷら説の出所は『武徳編年集成』
この説のもとになったのは、江戸時代の史料『武徳編年集成(ぶとくへんねんしゅうせい)』。この書物には、以下のような一節が残されています。
「天婦羅を食し、腹痛を発し…そのまま崩御せらる」
この一文が、「家康は天ぷらを食べてお腹を壊し、亡くなった」という伝説を生むきっかけとなりました。
食べたのは「鯛の天ぷら」だった?

伝えられるところによると、家康が食べたのは「鯛の天ぷら」。しかも、体調が優れない中で食したとも言われており、
- 消化不良
- 食中毒〔当時の保存状態を考慮すると十分ありうる〕
- 急性胃腸炎
などの可能性が取りざたされています。
実際の死因は胃がん?天ぷらは“引き金”だった?

一方、医学的視点からの研究では、家康の死因は「胃がん」だった可能性が指摘されています。
しかし、症状が悪化したきっかけとして「天ぷらを食べたこと」が引き金になった可能性は否定できません。
つまり――
「天ぷら=直接の死因」ではなく、「死を早めた要因」である可能性が高いのです。
江戸時代の「天ぷら」は今と違う?当時の食文化とは
実は、江戸時代の初期には天ぷらは高級料理で当時の天ぷらは、
- 油が高価で貴重
- 保存技術も未発達
- 揚げ油の質が悪い
といった背景があり、健康に悪影響を与える可能性が高かったのです。つまり、病弱な老将軍が食べるには向いていない料理だったともいえます。
まとめ|徳川家康の死因は「天ぷら」なのか?

家康の死因=天ぷら説は、100%の確証はないものの、一定の信憑性を持った説です。
事実として残るのは、
- 天ぷらを食べた直後に体調悪化
- その後しばらくして死亡
- 胃腸疾患の症状があった
という点。
つまり、こう言えるかもしれません。
「戦を制した家康が、最後に敗れたのは“鯛の天ぷら”だったのかもしれない――」
