「2月にあった出来事」:マルコムX暗殺(1965)
マルコムXの死因と暗殺事件の真相

〔キング牧師と対面するマルコムX〕
1965年2月21日、アメリカの黒人解放運動において最も影響力のある人物の一人、マルコムXがニューヨークで暗殺されます。
この衝撃的な事件は、当時の人種差別と公民権運動の激動の中で起こり、多くの人々に強い衝撃を与えました。
マルコムXとは何者だったのか?

マルコムXは、1950〜60年代のアメリカで黒人の権利を訴え続けた人物です。
彼は「マルコム・リトル」という名前でしたが、黒人が奴隷として連れてこられた歴史を象徴する「リトル(奴隷主の姓)」を捨て、自ら「X」と名乗りました。
これは「奪われた本来の姓を持たない黒人の象徴」としての意味を持っていたとされています。
そして、「ネーション・オブ・イスラム(NOI)」という組織に属し、白人社会の支配から黒人が独立することを目指したのです。
ネーション・オブ・イスラム(NOI)

ネーション・オブ・イスラム(NOI)は、アメリカで発展した黒人イスラム教の宗教団体で、1930年にワシントンD.C.で創設されました。
黒人の自己尊重と自立を強調し、白人社会に対して批判的な立場を取ることで知られています。
当時の公民権運動〔人種平等を求める社会運動〕を牽引していたマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが「非暴力」を提唱していた一方で、マルコムXは「黒人は武装し、自衛するべきだ」と訴え、多くの支持を集めました。
思想の転換と新たな敵

しかし、マルコムXの思想は晩年に変化します。
1964年、彼はイスラムの聖地メッカ巡礼(ハッジ)を経験し、多様な民族が共存する姿に衝撃を受けました。
帰国後は「白人すべてが敵ではない」とし、人種を超えた連帯を目指すようになります。

これにより、かつての仲間だった「ネーション・オブ・イスラム」と対立し、命を狙われるようになったのです。
暗殺の瞬間

〔ステージに開いた銃弾の跡〕
そして、1965年2月21日。マルコムXがニューヨークの講演会場で演説を始めようとしていたそのとき、突然、観客の中から銃声が響き渡ります。
マルコムXは15発以上の銃弾を浴び、その場に倒れました。
逮捕された犯人は「ネーション・オブ・イスラム」のメンバーでしたが、今もなおFBIや政府が関与していたのではないかという疑いが残っています。
マルコムXは享年39歳という若さで命を落としたのです。
FBIや政府が関与したとされる理由
FBIや政府が関与したとされる理由は、マルコムXの活動が政府にとって脅威と見なされていたためです。
マルコムXは、強い反政府的な立場を取り、黒人解放運動の象徴となったことから、すでにFBIはマルコムXを監視していたとされています。
マルコムXの遺したもの

〔ニューヨーク市のマルコムXブールバード〕
マルコムXの死は、アメリカの公民権運動に大きな衝撃を与えました。
しかし、その影響は消えることはなく、彼の思想は後のブラック・パワー運動〔アフリカ系アメリカ人の自己尊重と自立を強調し人種的な平等と解放を追求した社会運動〕やヒップホップ文化にまで受け継がれています。
そして、現在でもマルコムXは、黒人解放の象徴として世界中で語り継がれているのです。
彼が命をかけて訴えた「誇りを持ち、闘い、自由を勝ち取る」という精神は、現代にもなお力強く響いています。
