日本という国名の由来とは?倭から日本に変わった理由と歴史をわかりやすく解説

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日本という国名はいつ誕生したのか?

私たちは普段、当たり前のように「日本」という国名を使っていますが、この名前にもきちんとした由来があります。

日本列島には、約3万〜4万年前に現生人類であるホモ・サピエンス〔ラテン語の「賢い人」の意味。〕が到達したと考えられています。


しかし当時は、まだ「日本」という呼び名はもちろん存在していませんでした。

では、この国名はいつ頃から使われるようになったのでしょうか?



見ていきましょう!




最初に登場する国名は「倭(わ)」

卑弥呼(ヒミコ)

〔卑弥呼(ヒミコ)〕



日本に関する最も古い記録は、中国の歴史書に残されています。

3世紀に編纂された『三国志』の一部である「魏志倭人伝」には、日本列島の人々が「倭(わ)」と呼ばれていたことが記されています。

この中では、女王・卑弥呼が治める邪馬台国が登場し、約30の国を従えていたとされています。



「倭」という言葉の意味とは?


「倭」という文字は、中国側から見た呼び名であり、当時の日本列島の人々を指す言葉でした。


ただし、この漢字には「小さい」「従う」といった意味合いが含まれる可能性もあり、必ずしも好意的な名称ではなかったと考えられています。




なぜ「倭」から「日本」に変わったのか?

聖徳太子(しょうとくたいし)=厩戸王(うまやどのおう)

〔聖徳太子(しょうとくたいし)=厩戸王(うまやどのおう)〕



時代が進み、日本は国家として発展していきます。

その中で、従来の「倭」という呼び名に対する違和感が生まれたと考えられています。


そこで登場するのが、飛鳥時代の人物・聖徳太子です。

聖徳太子が隋(中国)に送った国書には、次のような有名な一文が記されています。

「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」



これは「太陽が昇る国の天子が、太陽が沈む国の天子に手紙を送る」という意味です。


国書を届けた、遣隋使である小野妹子(おののいもこ)




「日の本」から「日本」へ


それは、日本が中国の東に位置することから「太陽が昇る場所にある国」を意味しており、「日(ひ)の本(もと)」という表現につながったと考えられています。


また、中国で皇帝を意味する「天子」という言葉を、日本の天皇推古天皇に当てはめたことからも、当時の外交意識がうかがえます。

当時の天皇 第33代推古天皇(すいこてんのう)

〔当時の天皇 第33代推古天皇(すいこてんのう)〕




そして、この表現については、中国と対等な立場を示そうとしたものではないかという見方もあります。



なお、隋の皇帝である煬帝がこの国書に強い不快感を示したとする説もありますが、これについては諸説あります。


その後、「日の本(ひのもと)」という呼び方が広まり、やがて現在の「日本」という国名へと変化していったと考えられています。



こうして、日本は中国の東に位置する「太陽が昇る場所にある国」と認識されるようになっていくのです。



正式に「日本」が使われた時代はいつ?



中国の歴史書『旧唐書』には、7世紀後半に「倭国が日本に国号を改めた」と記されています。


このことから、天武天皇の時代(7世紀後半)に「日本」という国名が正式に使われ始めたと考えられています。




まとめ|日本という国名は「太陽の昇る国」から生まれた



日本という国名は、

・中国から「倭」と呼ばれていた時代


・国家として成長する中での意識の変化


・中国との外交関係


こうした流れの中で生まれました。


そして最終的に、「太陽が昇る国」という意味を持つ「日本」という名前へと変化していきます。

普段何気なく使っている国名にも、こうした歴史的な背景があると考えると、とても興味深いですね。