1月にあった出来事 1986年1月28日
宇宙開発の歴史に刻まれた悲劇
〔ケネディ宇宙センター〕
1986年1月28日、アメリカの宇宙開発史において忘れられない悲劇が起きました。
この日、フロリダ州ケネディ宇宙センターから打ち上げられたスペースシャトル「チャレンジャー号」が、発射からわずか73秒後に空中で爆発。乗員7名全員が犠牲となり、世界中に衝撃を与えました。
この事故は、宇宙開発に伴うリスクを改めて認識させる大きな出来事として記憶されています。
スペースシャトル「チャレンジャー号」爆発事故の概要
チャレンジャー号の爆発事故は、NASAが推進していたスペースシャトル計画の中で発生しました。
NASA(アメリカ航空宇宙局)… 宇宙探査や科学研究、航空技術の開発を行うアメリカの政府機関です。
このミッションでは、宇宙飛行士や科学者に加え、民間人として初めて教師であるクリスタ・マコーリフさんが搭乗しており、多くの注目を集めていました。
〔クリスタ・マコーリフ〕
クリスタさんの参加は「教師が宇宙へ」というNASAの教育プロジェクトの一環であり、多くの学校で生徒たちがスペースシャトルの打ち上げをテレビの生中継で観ていました。
しかし、打ち上げ後わずか73秒、高度約14kmでスペースシャトルが突然分解。破片は大西洋に散らばり、乗員7名は逃れる術がなく全員が犠牲となりました。
「爆発」と表現されることが多いですが、実際には外部燃料タンクの破損が原因で急激な分解が発生した事故になります。
そのため、この事故は教育現場や家庭にも大きな衝撃を与えたのです。
爆発の原因と背景
〔打ち上げ前、氷が貼りついた発射台の整備塔〕
調査の結果、事故の原因は固体燃料ロケットブースター(SRB)のOリングの故障であることが判明します。
Oリング… 接合部を密閉して液体や気体の漏れを防ぐためのゴム製の輪状部品。
Oリングはシャトルの燃料タンクとブースターの接続部を密閉する重要な部品なのですが、極端に低い温度にさらされると弾力を失い密閉性が低下する性質を持っていた為、燃焼ガスが漏れ出し、燃料タンクが引火して爆発につながったのです。
〔右側のSRBから漏れ出す黒煙〕
〔ガスの漏出により引火〕
〔分解し始めたチャレンジャーの機体〕
また、NASAと請負業者のモートン-サイオコール社は、低温がOリングの性能に悪影響を与える可能性を把握していたものの、スケジュールの遅れを懸念して打ち上げを強行したということが、この悲劇を招く原因になったとも言われています。
チャレンジャー号に搭乗した7名
〔前列左からマイケル・J・スミス、ディック・スコビー、ロナルド・マクネイア。後列左からエリソン・オニヅカ、クリスタ・マコーリフ、グレゴリー・ジャービス、ジュディス・レズニック〕
チャレンジャー号には以下の7名が搭乗していました。
- ディック・スコビー船長
- マイケル・J・スミス副操縦士
- ロナルド・マクネイア博士
- エリソン・オニヅカ宇宙飛行士(日本系アメリカ人)
- ジュディス・レズニック博士
- グレゴリー・ジャービス宇宙飛行士
- クリスタ・マコーリフさん(教師として初の民間宇宙飛行士)
この宇宙飛行士たちの挑戦は、宇宙開発の未来に多大な影響を与え、後の計画における安全性向上の原動力となっています。
世界に広がった影響と教訓
〔テキサス州ヒューストンで行われた追悼式に出席するレーガン大統領〕
この事故を受けて、NASAは約2年半にわたりスペースシャトルの運行を停止し、安全性の見直しと技術の改良に取り組みました。
また、NASA内部での意思決定プロセスやリスク管理の重要性が再認識され、組織改革が行われます。
この事故は「宇宙開発の夢とそのリスク」を象徴する出来事として記憶され、多くの人が宇宙探査の可能性に希望を抱く一方、その背後にある技術的課題と責任の重さを改めて考えさせられるきっかけとなりました。
最後に
「チャレンジャー号」爆発事故は、宇宙開発の成功の陰に潜むリスクを世界に示した出来事でした。
この悲劇を通じて得られた教訓は、安全性の向上や技術革新として、現在の宇宙開発に活かされ、犠牲者たちの思いは、宇宙への探求心や人類の進歩を後押しする貴重な遺産となっています。
40年近く経った今でも、彼らの挑戦は語り継がれ、未来の宇宙開発の基盤を築く教訓として生き続けているのです。