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【世界の出来事⑧】「アラル海の悲劇」干上がった湖が教えること

【 世界のゾッとする出来事 】

人為的な理由で消える湖

消える湖「アラル海」




アラル海はかつて中央アジアに広がる世界で4番目に大きな湖で、カザフスタンとウズベキスタンの国境に位置していました。


〔19世紀後半頃のアラル艦隊〕



しかし、20世紀後半頃からその姿が劇的に変わり、「消える湖」として世界中で知られるようになります。



その変貌は、自然の力ではなく、人間の行動によって引き起こされたものでした。



アラル海の歴史

〔アラル海近くにある缶詰工場〕



アラル海は長い間、地元の人々にとって重要な存在でした。



その湖の面積は、1960年代には約68,000平方キロメートル、深さは最大で約106メートルにも達していたとされています。



そして、アラル海は豊富な水産資源によって地元の経済を支え、さらには周辺の湿地帯は多くの鳥や動物の生息地となっており、豊かな生態系を育んでいました。


湖なのになぜ「アラル海」なの?


アラル海が「」と呼ばれるのは、その大きさと歴史的な重要性からといわれます。


かつてアラル海は、世界で4番目に大きい塩水湖〔塩分濃度が高い湖〕で、広大な面積を持ち、周囲の人々にとって非常に重要な存在でした。そのため、「湖」というよりも「海」として認識されていたのです。


そして、多くの言語では大規模な塩水湖を「海」と呼ぶことがあり、アラル海やカスピ海がその一例となります。

運命を変えた灌漑計画



しかし、1960年代にソビエト連邦が始めた大規模な灌漑計画(かんがいけいかく)が、アラル海の運命を大きく変えました。



アラル海の流入源であるアムダリヤ川とシルダリヤ川の水を引き、乾燥地帯での農業拡大を目指したのですが、特に綿花の生産が増加した為、大量の水が農地に使われることになったのです。



それにより、アラル海に流れ込む水の量が急激に減少し、湖は縮小し始めます。


アラル海の灌漑計画とは?

アラル海の灌漑計画は、1950年代から1960年代にソビエト連邦が進めた大規模な農業拡大政策の一部でした。この計画の目的は、乾燥地帯での農業を活発にするために、アラル海に流れ込む川から水を引き、広大な農地を作ることでした。


そして、湖の水位は急激に低下し、数十年でその面積は半分以下に縮小しました。



1980年代には、アラル海はもはや一つの湖ではなく、いくつかの小さな湖に分裂。2000年代には、南北に分かれていた二つの主要な部分が、さらに小さな湖に分かれました。


縮小する湖の影響

〔アラル海(左:1989年、右:2014年)の比較写真〕



アラル海の縮小は、環境と人々の生活に深刻な影響を及ぼします。まず、面積が急激に減少したため、湖の塩分濃度が上昇しました。



この塩分濃度の上昇は、魚の生息に適さない環境を作り出し漁業が崩壊。また、湖底が露出したことで、風によって塩と砂が広範囲に吹き飛ばされ、農地や住民の健康に深刻な影響を与えるようになりました。



そして、塩と砂が含まれた嵐が地域の気候をも変えてしまったのです。

再生の試み



現在、アラル海を再生しようとする試みが続けられています。



特に、北アラル海(カザフスタン側)では、ダム建設により湖の水位が回復しつつあり、完全な復活はまだ遠い未来の話ですがその取り組みが行われています。



一方、南アラル海(ウズベキスタン側)はというと、ほぼ消滅したままで、その再生は難しいとされています。



最後に

〔2021年のアラル海〕



アラル海は、自然と人間の活動が調和することの大切さを教えてくれます。


この灌漑計画では、短期的な経済的利益を優先した結果、大きな環境破壊が引き起こされ、地域全体がその影響に苦しみ続けることになりました。


消えゆくアラル海は、過去の過ちを振り返り、持続可能な未来を築くための大切な警告を発しているのです。


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