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【世界の戦争 雑学⑤】『世界一短い戦争』わずか38分で決着がついた戦い

【 世界の『戦争』雑学 】

イギリス・ザンジバル戦争

歴史上、最も短い戦争をご存知ですか?


歴史の中には長く続いた戦争が多くありますが、実はたった38分で終わった戦争も存在します。それが「イギリス・ザンジバル戦争」〔イギリスとザンジバルの間で勃発した戦争〕です。

戦争の期間:1896年8月27日午前9時2分~午前9時40分(現地時間)



この戦争は1896年8月27日にアフリカ東海岸に位置するザンジバル保護国〔19世紀末から20世紀初頭にかけてイギリスが支配していたザンジバル島(現在はタンザニアの一部)〕で起こりました。



今では「世界一短い戦争」として知られており、ギネスにも認定されています。


戦争の背景

〔ハマド・ビン・スワイニ〕


ザンジバルは、現在のタンザニア沖にある島で、19世紀には奴隷貿易〔人身売買による労働力の取引〕で栄えていました。

19世紀末の奴隷貿易は、アフリカからアラビアやヨーロッパなどへの労働力供給が主な目的でした。ザンジバルは東アフリカの奴隷貿易の中心地で、多くの奴隷が農園労働や家内奴隷として売られていました。



19世紀末、ザンジバル〔イギリスの保護領〕は、ハマド・ビン・スワイニがスルタン(王)として統治していました。



しかし、1896年にその親英的だったハマド・ビン・スワイニが突然亡くなります。〔毒殺と考えられている〕


〔ハムド・ビン・モハメッド〕



そこで、イギリスは自分たちに従順な人物ハムド・ビン・モハメッドを後継者に立てようとしましたが、王位争いの候補の一人であるハリド・ビン・バルガシュ〔ハマドのいとこ〕がドイツ寄りの立場を取って宮殿を占拠、そして独自にスルタン(王)の座に就くことを宣言しました。



イギリスはこの事態を許さず、「即位を取りやめなければ攻撃する」とハリドに最後通告をしましたが、彼はイギリスの要求を拒否し宮殿に立てこもり、反抗的な姿勢を見せました。


この対立がザンジバル戦争の引き金となります。


当時、イギリスとドイツはアフリカの支配を巡って激しく対立していました。その為、イギリスはザンジバルがドイツの影響下に入ると、自国の貿易や植民地政策に重大な影響が及ぶと懸念していました。

戦争の始まり

〔 戦争に参加したセント・ジョージ(イギリス軍)〕



イギリスはとうとう8月27日午前9時2分に戦闘を開始します。


そしてイギリスの海軍艦隊がザンジバルの王宮を砲撃し、わずか数分で大きな被害をもたらします。



戦争の終わり



そして、戦闘開始から38分後、ザンジバルは降伏します。

ハリドは戦闘中に王宮を脱出し、まずドイツ領事館に避難。最終的にドイツ領東アフリカ(現在のタンザニア)に逃れました。



その結果、イギリスは自国に従う新たなスルタン(王)をザンジバルに任命し、支配を強化しました。


戦争による死者と負傷者は合わせて約500人で、そのほとんどがザンジバル側の人々でした。一方、イギリス側では負傷者が1人だったと言われています。

逃亡後のハリド・ビン・バルガシュ

ハリド・ビン・バルガシュは、ドイツ領東アフリカへ逃れた後、ドイツの保護を受けてしばらくの間、東アフリカに滞在しました。しかし、ドイツが第一次世界大戦中にイギリスと戦うと、その戦争の動きに巻き込まれることになります。

1916年にイギリス軍に逮捕され、セーシェルとセントヘレナに流刑にされました。その後、東アフリカに戻ることを許され、1927年にモンバサで死去しました。


わずか38分で戦争が終わった理由

〔戦争に参加したイギリス軍のフィラメル (防護巡洋艦)〕


この戦争が非常に短かった理由は、イギリスの軍事力が圧倒的だったためです。


ザンジバル軍は大半は市民であり、しかも装備に関しても旧式のため、イギリスの近代的な軍事力に対抗できるはずもありませんでした。

更にイギリスは当時、世界で最も強力な海軍を持っており、ザンジバルの古い大砲や限られた戦力では到底太刀打ちできませんでした。


最後に

〔当時のザンジバル〕


この戦争は、一見すると無意味に思えるかもしれませんが、実際にはイギリスの植民地政策を象徴する重要な出来事として歴史に残っています。



また、わずか38分で終わった「世界最短の戦争」は、戦争が必ずしも長引くわけではないことを示しており、歴史の中で非常に興味深いエピソードとなっています。



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