要塞そして監獄にもなったモンサンミッシェル
モンサンミッシェルの歴史
フランスのノルマンディー地方に位置するモンサンミッシェルは、世界遺産にも登録されている美しい島と修道院〔修道士や修道女が共同生活を送りながら、祈りと労働に専念する場所〕があることで知られています。
この小さな島は、潮の満ち引きによって陸続きになったり孤立したりする独特の風景で有名なのですが、その歴史もまた興味深いものとなっています。
モンサンミッシェルの始まり
〔大天使聖ミカエル〕
モンサンミッシェルの歴史は8世紀に遡ります。
言い伝えによれば、708年司教オベールの夢に大天使聖ミカエルが現れ、「この島に私の名にちなんだ礼拝堂を建てよ」と告げたといいます。
【大天使聖ミカエル】とは?
大天使聖ミカエルは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教で崇敬される天使で、神の戦士として悪を打ち負かす守護天使とされています。
※「モン」はフランス語で「山」を意味し、「サン・ミッシェル」は「聖ミカエル」を意味します。そのため、モン・サン=ミシェルは「聖ミカエルの山」ということになります。
オベールは最初、夢を無視しましたが、三度目の夢でミカエルに頭を指で押され、その跡が現実でも穴として頭に残ったと言われています…
このことがきっかけとなり、島の上に礼拝堂が建てられることとなります。
中世の繁栄
11世紀から13世紀にかけて、モンサンミッシェルは修道院として大きく発展しました。
そして、ベネディクト会〔現存するカトリック教会最古の修道会〕の修道士たちによって壮大な建築が行われます。
この時期のモンサンミッシェルは学問と芸術の中心地としても栄え、多くの巡礼者や学者が訪れました。
英仏の百年戦争と要塞化
14世紀から15世紀にかけての百年戦争の間、モンサンミッシェルはフランスとイングランドの間での激しい攻防戦の舞台となります。
英軍によって何度も包囲されましたが、その堅固な造りと地形のために陥落はしませんでした。
そのため、戦争の間このモンサンミッシェルの修道院はフランスの独立と抵抗の象徴となりました。
百年戦争(1337年 – 1453年)
百年戦争は、フランス王国とイングランド王国の間で行われた一連の戦争です。この戦争は116年間続き、ヨーロッパの歴史に大きな影響を与えました。
主な原因は、イングランド王がフランス王位を主張したことと、両国の経済と政治的な対立といわれています。
フランス革命後、モンサンミッシェルは監獄に
18世紀後半、フランス革命が起こると、モンサンミッシェルの修道院は閉鎖され、監獄として利用されるようになります。
修道院の建物は、刑務所の条件に合わせて改修され、狭い監房と高い壁が設けられ、囚人たちは厳しい環境下で生活しました。
モンサンミッシェルのこの孤立した監獄には、政治犯や反政府活動家、革命に関与した者などの多くが収容されました。
フランス革命(1789年 – 1799年)
フランスの絶対王政を崩壊させ、共和制〔国家の元首が選挙や指名で選ばれる制度〕を樹立した一連の政治的変革になります。
19世紀に入り、作家や詩人たちの間でモンサンミッシェルの魅力が再評価され、修道院は文化財として修復されました。
現在のモンサンミッシェル
1979年にモンサンミッシェルはその周辺の湾と共にユネスコの世界遺産に登録され、その保存と保護が重要視されています。
島の頂上にそびえる修道院は壮大なゴシック建築の傑作であり、内部のホールや礼拝堂は訪れる人々を魅了します。
そして、島の周囲には石畳の狭い通りが広がり、伝統的なフランスの雰囲気を感じられる土産物店やレストランが立ち並んでいます。